堀じゃないんですわぁ・・・




先日の第4回わいまる。


そこで、こんな話がありました。


『郷瀬川のところって、堀だったんですよね?』


いやぁ~、違うんですよーーーーー。


今日は、そんなお話。





■ 郷瀬川


郷瀬川ってわかります?

犬山城天守のある、通称『城山』

これの東側に流れている川のこと。


城山と名鉄犬山ホテルとの間を流れて、木曽川に注ぎ込んでる、あれです。

これこれ(笑)





総延長 4.4 km

流域面積 55.6 km2









■ 郷瀬川は堀じゃないよ



江戸時代、尾張・美濃の国境にある栗栖あたりを水源として、

善師野から西に流れ、富岡を通って犬山に向かい、

橋爪・五郎丸の東側を南下していたようです。



しかし、大雨になると必ず水害を起こしていたみたいで、

困りものの川だったんですね。


一方で、流域の村々にとっては灌漑用水として重要な一面も持っていて、

なくてはならない川でもあったのですね。



そこで、富岡からの流路を木曽川に導く計画が立てられて、


明治19年(1886)


犬山城の麓から木曽川に流れ込む流路として工事がなされ、

いまの郷瀬川ができました。




そのとき、犬山城の外堀を利用したと言われる方がいますが、

明らかに違う。



明治になって廃藩置県があり、犬山城も廃城になりました。

そして、櫓・門・塀などのすべて(天守を除く)が払い下げられたり、

破却されたりしました。

もちろん、堀は埋められ、平坦な土地にして活用されていきます。

これは各地で起こったことであって、犬山城だけがそうなったのではないです。



それが、明治の初期。



つまり、明治19年より前の話です。


犬山城の外堀も埋められていた。

だから、郷瀬川を作るときに堀はなかったんです。

堀を郷瀬川として利用することはできなかった。

そういうこと。








■ 堀の内側に掘削した


犬山城・城郭と郷瀬川の位置関係を見てみましょう。




※この地図は、国土地理院の地図をたかまる。が加工して作成しました。

国土地理院ホームページ:http://www.gsi.go.jp/




このように、郷瀬川は犬山城外堀(推定)の内側に掘削されました。


これは、犬山市も発表している通りです。

外堀の位置は完全には把握できていませんので推定ですが、

古地図や先日行った発掘調査の結果から、まず間違いないでしょう。


(たかまる。が描いた画は正確性は乏しいです。イメージとしてとらえてください)



つまり、わざわざ硬い岩盤のところを掘削したのです。


堀跡を利用するのではなく。


堀の内側に。



だから、郷瀬川は犬山城域内にある、人工の川

ということになります。








いやぁ、改めて調べてみると勉強になりますね。



わたしも初めは郷瀬川が堀だと信じていましたから(笑)


明治の人たちは罪な人が多い(笑)



間違っちゃうじゃん。



ということで、郷瀬川は堀じゃないんで。

お間違いないように。



他の方に説明するときは、

明治になってから、犬山城の中を通して作った川なんだよーーーー

って言ってくださいね。




では、また。


 2017年9月16日

 たかまる。




 ※ 写真はすべて、たかまる。が撮影したものです。

 ※ 図はすべて、たかまる。が描いたものです。

 ※ 著作権などはすべて、たかまる。が所有しています。無断使用などは固くお断りします。




たかまる。

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