犬山城の縄張り! 【犬山城シンポジウム ルポ】 Vol.5
さて。
犬山城シンポジウムのルポも5回目になりました。
4回目まで読んでないって方は、下の方にリンク貼っておきますので、
そちらから読んでみてください。
で、今回は
犬山城の縄張り!
ってことで、
城郭考古学の第一人者で、
奈良大学学長でもある
千田嘉博先生
が発表されました。
◆ 城域中央を貫く大手道
犬山城は、城域中央を大手道が貫いています。
これ、中世の城郭の考え方らしいです。
江戸時代のお城は、
三の丸 ➡ 二の丸 ➡ 本丸
というように、
郭(くるわ)が順序立てられていて、
序列があったんだそうです。
こういうのを、
連郭式とか、梯郭式とか、輪郭式とか言うんですね。
郭の並べ方を話し出すと長くなるので、
それはまた別の機会に。
とにかく、近世城郭はそういう作り方が一般的でした。
平城だし。
でも、
犬山城は大手道からそれぞれの郭に行く
ようなつくり方。
つたないですが、図示してみます。
(図:たかまる。)
こんな感じ。
黄色に塗ってるところが大手道です。
そこから、
杉の丸
桐の丸
樅の丸
松の丸
のそれぞれの郭に行けます。
犬山城が完成を迎えるのは、
成瀬家が城主の時代。
つまりは、江戸時代。
さっきも言った通り、
順序立てられた郭の並べ方をするのが一般的な時代。
だから、千田先生曰く。
この縄張りは一見すると
ダメな縄張り。
そんな~( ;∀;)
千田先生!
そんなこと言わないで~( ;∀;)
◆ 外枡形の連続体
だけど。
だけど、です。
犬山城のすごいところは、その一見ダメな縄張りなんだとか。
ん?
どういうこと?
千田先生曰く。
外枡形の連続体。
超攻撃型。
おぉ、なんとまぁ!
ここ、強調しちゃう!
しかも、江戸時代の城郭の中では
非常に珍しいとか。
では、その外枡形の連続体を図示する前に、
外枡形って何?
ってのを解説。
まず、桝形というのは、
出入り口を門、石垣や土塁などで囲った、
小さな広場みたいなところ。
城内からみて、門の外側に桝形を設けたものを
外枡形と呼びます。
では、犬山城の場合はどうかというと、
図示しますね。
(図:たかまる。)
じゃん!
こんな感じ。
本丸からみて、門が五つ連続しています。
そして、本丸からみて門の外側が、
四角く囲われた小さな広場
みたいになっています。
これが、外桝形。
そして、そして。
桝形が連なっている。
これが、
外枡形の連続体
というやつですね。
中御門から南側は比較的広くなっているので、
外枡形というにはちょっと広すぎるかなぁとも思いますが、
千田先生がおっしゃるんですから。
間違いありません!
この連続外枡形の縄張りが
犬山城の最大の特長
ということで、
千田先生が熱弁を振るわれていました。
同じ構造の縄張りを持つ城郭は、
熊本城(熊本県熊本市)
(早い復興・復元をお祈りしています!)
松坂城(三重県松阪市)
近江八幡城(滋賀県近江八幡市)
ぐらい。
と思っていたら、最近発見された絵図で、
江戸城もそうなんだってことがわかっちゃった。
そういう発見はうれしいけど、
なんか複雑。
江戸城とか熊本城とか、
大きくて有名なところが
そんなすごい縄張りだったら、
犬山城は霞んじゃうもん。
でも、それぐらいの城郭にしかない構造ってことに変わりはない!
犬山城ってすごい!
◆ 東は切岸、西は空堀
さて、その他にも最強のディフェンスがあります。
東の切岸
西の空堀
これについては、鈴木先生が発掘調査をもとに話をされました。
そのルポはすでに書いていますので、そちらを見てください。
なので、割愛!
◆ まとめ
ということで、
犬山城の縄張りは、
江戸時代の城郭にしては珍しく『大手道が城域の中央を貫いている』こと
そして、
『5連続外枡形』
の最強ディフェンス+超攻撃型縄張り
プラス
東の切岸、西の空堀
という鉄壁のディフェンス
という、非常に特徴的な縄張りということでした。
しかし、現在の犬山城はそのどれも見ることが難しく、
相当な妄想族じゃないと現地でイメージできない。
だから、
案内板を立てるとか、
木を剪定して見やすくするとか、
見学できるように通路を整備するとか、
門と土塀を復元して連続外枡形を体感できるようにするとか。
そういうことを犬山市にはやってもらいたい!
そうだ。
新たな体験するお城として打ち出していけばいいじゃん!
空堀も、切岸も、連続外枡形も、整備して。
ということで、今回のルポはおしまい(笑)
次回は、第6回
『天守はいつ建てられたのか?』
という、犬山城のホントに謎、の部分のルポです。
お楽しみに!
第1回から第4回までのルポはこちら↓↓↓↓↓↓↓↓
切岸と空堀の話は2回目ですよ!
0コメント