掘ったら出てきた、出てきたぞー! 【犬山城シンポジウム ルポ】 Vol.2
先回、『犬山城は謎だらけ』と題して、
犬山城シンポジウムの前段をルポしました。
まだ読んでないよーという方は、こちらをチェックしてください!
で、今回は2回目。
『掘ったら出てきた、出てきたぞー!』
と題して、レポートします。
発掘調査の成果について、
愛知県埋蔵文化財センター調査研究専門員の鈴木正貴先生が
『発掘調査からみた犬山城』
と題して発表されました!
うん。
発掘調査とかやったことないので、専門用語が出てきてもわからなかったんですよね~(笑)
とか言っちゃうと怒られちゃいますが、
そこはさすが鈴木先生!
丁寧に説明していただけました。
◆ 東は『切岸』
まず、城山の東側。
ここには、急斜面を人工的に作った跡がありました。
いまは、土砂が堆積してなだらかな坂になってしまっているようですが、
確かに、人工的な急斜面があったんですね。
山の斜面を削り出して、急峻な断崖を作り出しているとか。
これは、
『切岸』 (きりぎし と読みます)
と呼ばれるもので、東側の防御施設の一つです。
今は危険なため、立ち入り禁止になっています。
が!
わたし、実は行ったことがあるんです。
去年の12月に千田先生と歩くツアーがありまして、
そのときに、特別な許可を得たとかで入らせてもらえたんです。
奇跡ですよ!
でも、普段は入れないんです。
残念 ( ;∀;)
ということで、
城とまちミュージアム
にある模型の写真で説明します。
この写真の右側。
山の中腹辺りに道がありますよね。
その山が削れて断崖になっているの、わかりますか?
こんな感じ。
これは反対側から取った写真。
木曽川の方からの画です。
これ!
切岸
人の手で削ったんですよ。
すごいですねぇ。
これが今回の発掘調査では、これが発見されたということです。
まぁ、あったのはあったんですけど、
ちゃんと調査してなかったから、今回調査したというのが本当のところでしょうけどね。
それもそうですが、
せっかくの切岸。
見れるように整備してほしいですよねぇ。
こんな切岸がみれるところなんて、そうそうないですから!
◆ 西は『掘』
一方、逆の西側には堀がありました。
これも発掘調査で出てきました。
本丸から樅の丸に伸びる堀跡です。
土塁との高低差は約3m、堀底の幅は約3.5mあるそうです。
ちょっとわかりにくいかもしれないですね。
真ん中のあたり、凹んでいるのわかります?
わかりにくいので、こちらも「城とまちミュージアム」の模型で。
ちょっと水色になったところ。
これが堀です。
もうちょっと拡大したやつ。
この堀の跡も発見されました。
あと、あわせて土塁の跡、切岸も発見されました。
これで、絵図に描かれていたものの裏付けが取れましたね。
よかった(笑)
ちなみに、
堀と土塁はワンセット!
って思っていいと思います。
何でかって言うと、
堀を作るのに、土を掘りますよね、もちろん。
で、掘った土を横に盛れば、土塁の完成!
ということで、堀と土塁はワンセット。
いろんなお城の堀を見たりするときにこう見てみると、
確かに堀の脇には土塁。
土塁があれば堀もあるって感じで発見できます。
と、話が逸れましたので戻します。
こういう発掘成果を聞いたりすると、
堀れば出てくるじゃーん!
なんで今までやんなかったのよー!
って思っちゃいますよね。
ま、複雑な事情があったんでしょうねぇ。
大人の事情ってやつですか?
この堀と土塁。
いまでも遺構として残っているんですが、
これも立ち入り禁止。
危ないからだそうです。
危なくないように整備して、見れるようにしてくれよー!
と、千田先生もおっしゃってました(笑)
◆ 東西の防御は最強!
で、この東西の発掘からわかったことは、
天守の東西を、堀、土塁、切岸という防御施設で
防御していたということです。
北 ➡ 木曽川
東 ➡ 切岸
西 ➡ 堀、土塁、切岸
攻めにくそうっていうか、どこから攻める?って思っちゃう。
とにかく、そうやすやすと攻めさせない。
最強の防御を備えていたんですね。
すげーーーーー!
さて、
だいぶ長くなってしまったので、続きは次回にします。
まだまだ発掘調査の結果があるんです。
鈴木先生も汗をかきながら熱弁ふるってましたから。
では、また次回。
2017年1月28日
たかまる。
ちなみに、
城とまちミュージアムについては、以下のリンクよりご参照ください。
0コメント